長崎の鳥居図鑑『トリ・コレ』Pt.2

長崎の 鳥居あつめに 出かけよう。~諏訪神社、伊勢宮、松森天満宮(長崎三社)から、山王神社の片足鳥居、町のお稲荷さんまで

No.53 高田天満宮・天満神社(西彼杵郡長与町高田郷)

この近辺の小学校の遠足スポットになっている天満宮公園に隣接する神社。建立は元禄年間、旧長与村四社のうちの一つ。(他は斉藤郷・岩淵神社、岡郷・白髭神社、三根郷・戸隠神社)

長与町教育委員会にてアップロードされた動画で歴史を学べます。グッジョブ。
https://youtu.be/ejzgqgILw8A


◾一の鳥居
・建立:1710年(宝永7年)12月
・材質:石造
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・扁額:『天満宮
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・右柱碑文:『宝永七庚寅年・・・』
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◾二の鳥居
・建立:1901年(明治34年)10月25日
・材質:石造
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・扁額:『天満神社
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◾三の鳥居

・建立:1921年(大正10年)5月
・材質:石造
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・扁額:『天満神社
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◾その他
・社殿
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ちなみに立地的には社殿裏を通り抜ければ天満宮公園に到達できると思われるが、危険なためか社殿裏側は『立入禁止』になっている。

・撫で牛
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・御手水(あまり見かけない蛇口式)
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・車道側にある案内板
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ここには戦国時代『東高田城』があり、跡地にこの天満神社が建てられたとのこと。
『西高田城』はこの丘と北陽台高の間あたりにある丘のことのよう。

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(撮影日:2020/04/29)

No.52 左近稲荷神社(長崎市西山二丁目)

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西山神社下の道を更に進んだところにある。赤い看板が目印。鳥居はいずれも明治期以降のもののようだが、石造の鳥居がどっしりと三基、並んでいる。
かつては鉄砲岩稲荷とも称されていた。

◾一の鳥居
・建立:1898年(明治31年)12月
・材質:石造
・扁額:『左近神社』
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◾二の鳥居
・建立:1936年(昭和11年)11月
・材質:石造
・扁額:『左近神社』
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◾三の鳥居
・建立:1940年(昭和15年)8月
・材質:石造
・扁額:『左近大明神』
太平洋戦争開戦の前年に建立。
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◾四の鳥居
お稲荷さんの赤い鳥居。豊穣を表す赤。
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◾その他
・由緒書き
  『神殿が巨岩の上に建てられ、この岩を「鉄砲岩」と呼ぶことから「鉄砲岩稲荷」とも称されました』。
  『平成七年』に諏訪神社から隅炉(すみろ)を譲り受け、移築したとのこと。すみろは、小間の茶室において,道具畳の左隅に切られた炉のこと。
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 記載のある『左近イナリ』は、享和二年(1802)の肥前長崎図↓でいう『イナリ社』のことであろう。ちなみに『妙見社』は西山神社のこと。では間の『祇樹林』はというと...
崇福寺の末庵祇樹林(現在廃寺)が存在したとのこと。
歳旦塚 と呼ぶらしい。
https://misakimichi.com/page/519
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・社殿
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・社殿右側の岩
  社殿の脇にあった大きな岩。岩の上には二百五十年記念碑。
  『神殿が巨岩の【上】に建てられ』とのことなので、この岩が鉄砲岩というわけではないように考えられるが、近辺にはこのサイズの岩が複数転がっている。
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・片渕方面の眺望
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(撮影日:2020/04/11)

No.51 高倉稲荷大明神(長崎市田上)の鳥居

唐八景バス停から、さらに唐八景公園の方へ車道を向かうと現れる。

■鳥居
・建立:1988年(昭和六十三年)9月
・材質:金属
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・扁額:『正一位 高倉稲荷大明神
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◾その他
・お堂の中は小綺麗にしてあります。
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・隣に『正一位 五月大明神』あり。荒れ果てていますが。
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・さらにその隣には、『百五拾年再建記念』の石碑が。昭和63年が再建の年だとしたら、その150年前(=1838年天保九年)が創建の年ということか?
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(撮影日:2020/03/29)

No.50 矢上神社(長崎市矢上町)の鳥居

長崎で一番古い(と言われている)矢上神社の鳥居。

毎年10月17日には矢上くんちが盛大に催されます。

日本食品の初代社長とも縁があるのかもしれません。

 

■一の鳥居

・建立:1897年(明治三十年)
・種類:明神鳥居
・材質:石造(花崗岩)

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・扁額:『箭神神社』

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■二の鳥居
・建立:1935年(昭和十年)5月
・種類:明神鳥居
・材質:石造(花崗岩)
・扁額:『矢上神社』(矢の字が矢の形になっている)

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・碑文(右側柱表):『奉 昭和拾年五月』

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・碑文(左側柱表):『納』

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・碑文(左側柱裏):『中山嘉助 敬建』

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■三の鳥居
・建立:確認中※1801年(寛政十三年)11月
・種類:明神鳥居
・材質:石造(安山岩)

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・扁額:『矢上神社』

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・碑文(右側柱表):(読みづらく信憑性薄)『奉寄進  寛政十三辛酉年十一月吉旦』

 (分かる方いらっしゃいましたらご連絡いただけると幸いです)

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■四の鳥居
・建立:1974年(昭和四十九年)10月
・種類:明神鳥居
・材質:石造(花崗岩)

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・扁額:『矢上神社』

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・碑文(左側柱裏):『昭和四十九年十月吉日 宮司 金子重謹書』

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・碑文(右側柱裏):『藍綬褒章受章記念 後山繁之』
   ※後山繁之氏 = 日本食品の初代社長(?)

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■その他

 ・一の鳥居と二の鳥居の間、『長崎街道矢上宿』の文字。
  昔も今も、長崎市中心部から陸路で東へ向かうには避けては通れない立地であり、
  古くから人が集まる場所であったのであろう。

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 ・立派な青銅神馬がいらっしゃいました。

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(撮影日:2020/02/11)

 

No.49 正一位 浜屋稲荷大明神(長崎市浜町)の鳥居

長崎浜屋デパートの屋上に、レトロゲームに囲まれて祀られています。

■鳥居

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・建立:1960年(昭和三十五年)3月

・種類:不明

・材質:金属製

・扁額:『正一位 浜屋稲荷大明神

・柱碑文:『維時 昭和三十五年三月吉日』(これとき と読むらしい。建立した日付。)


 浜屋百貨店の開業(1934年、昭和14年。木造二階建て)からあるわけではないが、昭和28年、昭和33年、昭和49年と立て続けに増床、増築が行われており(Wikimediaより)、その中で建立されたものと思われる。

 現在の8階建てになったのは昭和49年なので、現在の屋上のこの位置に立ったのはそのタイミングのはず。それまでも低層の屋上に設置されていたのだろうか。想像は膨らみますねー。

(撮影:2019/10/09)

No.48 淵神社(長崎市淵町)の鳥居

ロープウェイの駅のある淵神社。歴史ある場所であり、江戸中期にキリシタンを祀ったと思われる鳥居にも出会える。

◾一の鳥居
・建立:1937年(昭和十二年)11月
・種類:明神鳥居
・材質:石造(花崗岩)
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・扁額:『淵神社』
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・碑文(右側柱裏):『昭和十二年十一月吉日敬建』
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・碑文(左側柱裏)
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■二の鳥居
・建立(推定):1733年(享保十八年)
・種類:台輪鳥居
・材質:石造(安山岩)
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・扁額:『淵神社』
 ※建立年代は萬福寺もしくは稲佐弁天だったため、後世つけられたものと考えられる。
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・碑文(右側柱表):『石柱・・・』
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・碑文(左側柱表):
享保十八年癸丑○○○○』
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・碑文(右側柱裏)
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・碑文(左側柱裏):
『昭和十二年十一月吉日移建』
※一の鳥居建立と同じタイミングでこの場所に移されたものと考えられる。が、どこから移されたのか不明。
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■桑姫社の鳥居(?)
・建立(推定):1804年(文化元年)8月
・種類:台輪鳥居
・材質:石造(安山岩)
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・扁額:『淵神社』
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・碑文(右側柱表):
  『文化元年歳在甲子八月七日』
※8月7日は桑姫社の例祭(桑姫の命日)
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・碑文(左側柱表):
  『志賀和一郎源親善敬建』
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※志賀和一郎氏は淵村の庄屋であり、伊能忠敬を案内したということで『測量日記』にも登場する。
※志賀家は豊後(大分)の出身だが、キリシタンに対する迫害を避けて長崎に出てきた経緯がある。桑姫君は同じ豊後のキリシタン大名大友宗麟の子義統の娘阿西(マキゼンシャ)を祀ったものであり、志賀氏・薬師寺氏により祀られたものとの言い伝えがある。
■駐車場側の鳥居
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■住宅地急斜面側の鳥居
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■稲荷社(宝珠稲荷神社、高木稲荷神社)の鳥居
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■その他
・長崎名勝図絵
寛永11年(1634)延命寺の開山龍宣が荒れはてていたこの地に宝珠山萬福寺を建てた。正保4年(1647)弁財天を勧請、以後、「稲佐弁天社」と呼ばれ、淵村の総鎮守とされた。
その後、明治元年(1868年)に淵神社に改称。改称の理由は廃仏毀釈
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描かれている二つの鳥居と、現存する鳥居の対応がはっきりしない。
一の鳥居は、昭和十二年に現在のものが建てられるよりも前に立っていたものであろうか。
二の鳥居は、碑文に『移建』とあるが、このときの二の鳥居とは異なるのであろうか。
桑姫社の鳥居(?)は、この図絵が書かれた年代には存在したはず(文化元年)だが、描かれていない。別の場所にあったのだろうか。
この年代から残っている、現存する鳥居は、現『二の鳥居』と『桑姫社の鳥居(?)』。
現『二の鳥居』は移建したとあるので、
図絵の一の鳥居=現『二の鳥居』、
図絵の二の鳥居=現『桑姫社の鳥居(?)』という可能性はないだろうか。
・六十余州名所図會
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(撮影:2019/06/23)

No.47 銭座天満神社(長崎市天神町)の鳥居

~原爆による壊滅から再建 近代のコンクリート製鳥居・銭座天満神社
■鳥居
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・建立(推定):1967年(昭和四十二年)
・種類:明神鳥居
・材質:コンクリート
写真なし(バッテリー切れのため撮影できず...後日掲載予定)
■その他
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(撮影:2019/06/16)