長崎の鳥居図鑑『トリ・コレ』Pt.2

長崎の 鳥居あつめに 出かけよう。~諏訪神社、伊勢宮、松森天満宮(長崎三社)から、山王神社の片足鳥居、町のお稲荷さんまで

No.22 桜馬場天満神社(長崎市桜馬場一丁目)の鳥居

シーボルト御一行が安全祈願を行った場所。二の鳥居のスレスレな笠木は必見。

■一の鳥居
20190406_081514.jpg
・建立(推定):1917年(大正六年)11月
・扁額:「天満宮
20190406_081533.jpg
20190406_081618.jpg
・柱碑文(右側柱裏):
  大正六年十一月吉辰敬立 獻主・・・ 
20190406_081606.jpg
・柱碑文(左側柱裏):
  奉獻 獻主・・・
20190406_081612.jpg
■二の鳥居
20190406_081630.jpg
・建立(推定):1818年(文化十五年)9月
・扁額:「天満宮
20190406_081645.jpg
20190406_081748.jpg
・柱碑文(右側柱表):
 文化十五歳九月吉日
 ※年号部分が読み取り辛く、信憑性に疑いあり(文化十五年は四月までしかない?)
20190406_081726.jpg
20190406_081733.jpg
・見所は住居に接触しそうなスレスレの笠木。設計者も工事者もアッパレ。

f:id:nagasaki-torii-ii:20200401001407j:plain


■熊谷稲荷神社の鳥居
20190406_081850.jpg
20190406_081905.jpg
20190406_081911.jpg
20190406_081932.jpg
■その他
 ・長崎市中心部では最古の神社。再興した諏訪神社よりも古い。
参考:ナガジン
キリシタン全盛の頃の慶長12年(1607)、唐津出身(佐賀)の威福院高順が長崎に訪れ、数々の妨害に直面しながらも新高麗町のヤブの中に小さな祠を建て、天満宮をまつっていたが、元和8年(1622)長崎奉行・長谷川権六郎が神社の由来を聞き、桜馬場郷の現在地に敷地を寄進し、社殿の造営を助成。

 ・シーボルト一行が安全祈願を行った旨が記載された案内板。当時は威福寺。

f:id:nagasaki-torii-ii:20200401001112j:plain