No.52 左近稲荷神社(長崎市西山二丁目)
西山神社下の道を更に進んだところにある。赤い看板が目印。鳥居はいずれも明治期以降のもののようだが、石造の鳥居がどっしりと三基、並んでいる。
かつては鉄砲岩稲荷とも称されていた。
◾一の鳥居
・建立:1898年(明治31年)12月
・材質:石造
・扁額:『左近神社』
◾二の鳥居
・建立:1936年(昭和11年)11月
・材質:石造
・扁額:『左近神社』
◾三の鳥居
・建立:1940年(昭和15年)8月
・材質:石造
・扁額:『左近大明神』
太平洋戦争開戦の前年に建立。
◾四の鳥居
お稲荷さんの赤い鳥居。豊穣を表す赤。
◾その他
・由緒書き
『神殿が巨岩の上に建てられ、この岩を「鉄砲岩」と呼ぶことから「鉄砲岩稲荷」とも称されました』。
『平成七年』に諏訪神社から隅炉(すみろ)を譲り受け、移築したとのこと。すみろは、小間の茶室において,道具畳の左隅に切られた炉のこと。
記載のある『左近イナリ』は、享和二年(1802)の肥前長崎図↓でいう『イナリ社』のことであろう。ちなみに『妙見社』は西山神社のこと。では間の『祇樹林』はというと...
崇福寺の末庵祇樹林(現在廃寺)が存在したとのこと。
歳旦塚 と呼ぶらしい。
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・社殿
・社殿右側の岩
社殿の脇にあった大きな岩。岩の上には二百五十年記念碑。
『神殿が巨岩の【上】に建てられ』とのことなので、この岩が鉄砲岩というわけではないように考えられるが、近辺にはこのサイズの岩が複数転がっている。
・片渕方面の眺望
(撮影日:2020/04/11)