長崎の鳥居図鑑『トリ・コレ』Pt.2

長崎の 鳥居あつめに 出かけよう。~諏訪神社、伊勢宮、松森天満宮(長崎三社)から、山王神社の片足鳥居、町のお稲荷さんまで

No.48 淵神社(長崎市淵町)の鳥居

ロープウェイの駅のある淵神社。歴史ある場所であり、江戸中期にキリシタンを祀ったと思われる鳥居にも出会える。

◾一の鳥居
・建立:1937年(昭和十二年)11月
・種類:明神鳥居
・材質:石造(花崗岩)
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・扁額:『淵神社』
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・碑文(右側柱裏):『昭和十二年十一月吉日敬建』
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・碑文(左側柱裏)
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■二の鳥居
・建立(推定):1733年(享保十八年)
・種類:台輪鳥居
・材質:石造(安山岩)
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・扁額:『淵神社』
 ※建立年代は萬福寺もしくは稲佐弁天だったため、後世つけられたものと考えられる。
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・碑文(右側柱表):『石柱・・・』
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・碑文(左側柱表):
享保十八年癸丑○○○○』
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・碑文(右側柱裏)
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・碑文(左側柱裏):
『昭和十二年十一月吉日移建』
※一の鳥居建立と同じタイミングでこの場所に移されたものと考えられる。が、どこから移されたのか不明。
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■桑姫社の鳥居(?)
・建立(推定):1804年(文化元年)8月
・種類:台輪鳥居
・材質:石造(安山岩)
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・扁額:『淵神社』
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・碑文(右側柱表):
  『文化元年歳在甲子八月七日』
※8月7日は桑姫社の例祭(桑姫の命日)
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・碑文(左側柱表):
  『志賀和一郎源親善敬建』
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※志賀和一郎氏は淵村の庄屋であり、伊能忠敬を案内したということで『測量日記』にも登場する。
※志賀家は豊後(大分)の出身だが、キリシタンに対する迫害を避けて長崎に出てきた経緯がある。桑姫君は同じ豊後のキリシタン大名大友宗麟の子義統の娘阿西(マキゼンシャ)を祀ったものであり、志賀氏・薬師寺氏により祀られたものとの言い伝えがある。
■駐車場側の鳥居
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■住宅地急斜面側の鳥居
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■稲荷社(宝珠稲荷神社、高木稲荷神社)の鳥居
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■その他
・長崎名勝図絵
寛永11年(1634)延命寺の開山龍宣が荒れはてていたこの地に宝珠山萬福寺を建てた。正保4年(1647)弁財天を勧請、以後、「稲佐弁天社」と呼ばれ、淵村の総鎮守とされた。
その後、明治元年(1868年)に淵神社に改称。改称の理由は廃仏毀釈
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描かれている二つの鳥居と、現存する鳥居の対応がはっきりしない。
一の鳥居は、昭和十二年に現在のものが建てられるよりも前に立っていたものであろうか。
二の鳥居は、碑文に『移建』とあるが、このときの二の鳥居とは異なるのであろうか。
桑姫社の鳥居(?)は、この図絵が書かれた年代には存在したはず(文化元年)だが、描かれていない。別の場所にあったのだろうか。
この年代から残っている、現存する鳥居は、現『二の鳥居』と『桑姫社の鳥居(?)』。
現『二の鳥居』は移建したとあるので、
図絵の一の鳥居=現『二の鳥居』、
図絵の二の鳥居=現『桑姫社の鳥居(?)』という可能性はないだろうか。
・六十余州名所図會
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(撮影:2019/06/23)